いくつ、と数えられるものではないわ。
けれど…今以上の「時間」と「数」が欲しくて
「……最後の一枚は…どこに置いたかしら…」




片隅で




部屋への一つの出入り口のその扉を開ければ、一直線上に堂々と大きな机に、如何にも偉そうな人が座りそうな椅子。
暖かな陽の光が差し込む彼の執務室の窓辺。
東方司令部司令官、大佐という地位を勤め、「焔」の二つ名を持つ不在中の彼の名前はロイ・マスタング。
つい、うとうととしてしまいそうな程に優しくぽかぽかとしたその机と、机の上のペンがキラリと鈍く光を反射した。
「EAST CITY」と大きく書かれた地図を広げたまま、彼はそのまま外へと出て行ってしまった。きっとニューオプティンから来ている将軍のお相手だろうか、当分の間返って来る気配は無い。
真新しい赤い丸の印がついたその地図を折り目通りに彼女がそれを畳む。

彼女も「ニューオプティンから来ている将軍」には懲り懲りだった。
若くして大佐という軍部の中では上の方に当たる階級へと身を置く彼に、その「将軍」は何かと文句を言いたがる。彼女が彼の傍に居、気付いたときにはその「将軍」は彼に何度もグチを言っていた。
地図の隅に走り書き、いや、殴り書きというのか、彼にしては形の崩れた文。ここまで汚く書いているのなら、書いた本人ですら読めないのでは、と彼女が溜息を吐いた。


この際、と机に高々と積まれた書類へと手を伸ばす。
「また…、この書類の提出期限……明日だわ」
しかも同じ年月日が書かれた書類というのは積み重ねて計ったら厚さ何センチになるだろうか、枚数にすれば数え切れない程溜め、積まれていた。
「どうしたんだ?ホークアイ中尉」
隠す必要は無かった。けれど、背後からした彼の言葉に少し驚いてその書類を背に寄せて隠す。
「いえ…、この書類はいつ提出予定で、大佐」
一瞬の内に彼の整った顔が歪んだのは言うまでもないこと。

「中尉…」
「話してる暇があるのなら、仕事してください。貴方のような方なら、すぐに書類一枚なんて完成するのでは」
彼が泣く泣く完成させたほんの数枚の書類を手に取って、一字一字を見直す。左から右へ、と流れて行く鳶色の瞳が辿る視線が、一点で止まる。
「どうかしたのか、中尉」
にこにことした表情と引き攣った笑顔で、視点が一点に絞られた彼女を見つめて言った棒読みの言葉。そんな彼に容赦無く突きつけた言葉は
「ここの言葉、違いますが」
君が見直すと、私の仕事はいつまで経っても終わらん…
君が有能なことも、私の背を護る存在だということも、知ってはいるが
もう少し手加減して欲しいものだよ。

「中尉―…」
力なく、ばたりと机に上半身を倒し、打ちひしがれていても、仕事と「有能な」上司に忠実な彼女は彼の心情なんかに見向きもしない。
「期限ギリギリまで書類をため込む癖はいい加減にしてください。」
きつく言い放つ彼女に特大の溜息を漏らすと、再び上体を起こして首を折って首筋を伸ばしてから、ペンを持つ。
「しょうがないな。そろそろ私の実力というものを見せてあげようではないか、ホークアイ中尉」
「あら、頼もしい」



「大佐」
「どうした、中尉」
あっという間に仕上げた書類の山を見せ付けるように堂々とし、手を組みながら言うと、彼女は希の希にしか見せないような笑顔。
「いつもこの調子でやっていただければ、定時どころか定時まで時間が余りすぎるほどですね」
「本当の私とはこうなのだよ」
いつもこの調子でやれば、という言葉で真実というのを押し付けられた。ジリジリと痛む、右手の中指がそれと同時に激しく虚しく痛んだ。
「貴方は基本的には何でもできるのですから」
「やはり、そうだろう?」
「天気の良い日、はですが」
「……そっ、そうだな…」
もう一度、顔を歪ませたのを彼女は見向きもしない。

貴方が雨の日に、
碌な顔をしていることなんてありませんから。
いつだって。…そう、いつだって……

ポーカーフェイスで、いつでも作り笑顔で女性たちに微笑み続けてるのが、良いとは限りませんが。

「一字一句、間違えていませんね」
彼女が書類の文字を確認して、パラパラと枚数を数える。と、そのときにヒソヒソと席を立って彼女が見ていないのを知っているのか知らぬのか、コソコソと歩く彼。
「定時までは帰ってはいけませんからね、大佐」
「わ、分かってる…」
結局、「確か」な本当の理由を彼女は分かっていない。

48、49、50…
確か、この書類は51枚だったはず…

いつもは冷静な彼女がバタバタと、彼の机より向って左にある棚でファイルをバタバタと開いたり閉めたり、何の紙なのかも分からないような書類を食入るように見たり、何かを探しているようにそこらじゅうを探していた。
「……最後の一枚は…どこに置いたかしら…」
確か、最初にこの書類を机に置いてから書類を纏めて、それからこのファイルを見て…
紛れ込んでしまったのかしら…私としたことが…なぜこんなことを……

「中尉、最初から書類は50枚だったぞ」
「でも、この机に置いてあったときに数えたときには51枚でした…!」
彼がバタバタと急いで何かを探している彼女にそう言っても、彼女はまだ探し続ける。
「置いてあった紙全部が、書類とは限らんだろう?」
「どういうことですか?」
ふと、ファイルから目を離すと、一枚の紙を彼は左手の指で挟んでヒラヒラと靡かせていた。
「これは、私が私用で使った紙なのだよ」
だから、私は貴方のその表情に弱いのよ。
貴方の少し微笑んだ顔、普通の女性だったら何も思わないかもしれない少しの変わった表情だけれど、
でも、私は貴方のその自然な表情が一番似合っていると思うわ。

いくつ、と数えられるものではないわ。
けれど…今以上の「時間」と「数」が欲しくて
きっとずっと求めていました、その表情。


「だからって…瞬間で一気に熟睡しなくてもいいじゃないですか……」
右手で頬杖をついた体勢で、もう眠っていた。確かに、彼は仕事をサボっていたが、あまりにも多すぎる量の仕事をこなしていた。彼女はふっと微笑んで彼の近くに近寄って、彼の上半身を椅子の背もたれに凭れさせると、先程の彼が持っていた一枚の紙を見た。

彼が滅多にしない錬金術の研究の一部。あの錬金術師兄弟2人よりは量も時間も劣るものの、彼も少しながらしている。彼女には全く意味は分からない。
彼女が彼と居た頃には、もうしていたこと。彼にとって、彼女よりも錬金術は長い付き合いのもの。
と。彼が左に倒れそうになり、彼女が急いで彼の方を持って支える。
錬金術の研究の紙に書かれた最後の一文を思い出しながら、背もたれへ再び体勢を戻す。
研究には全く関係のない言葉だった。彼女にも意味の分かる一文。
机に置いてあるペンを右手で握って、その文の下に1つ言葉を、
「Yes.」と、ただそれだけを書いて、
ぎゅっと、彼を抱きしめる。
「大佐……」

ホークアイ中尉、君と初めて会ったときのことを忘れることはない
これからも、君が私の背を護ってくれることを願っている


ずっと、私はその覚悟で居ます。
たとえ私は心を無くしたとしても、死んでも、貴方を守り切ります。
私も、貴方と会ったときのことを忘れることはありません。
私は、もしも貴方にそう言われたなら「はい」と一言答えましょう。
それ以上の言葉は、貴方には必要がありませんから。

閉じられた彼の瞼に一つ口付けを落として、
頬に涙が伝い、彼の頬へも伝わり、流れて行く。

護るということは、私の本当の気持ちを隠し通すために
本当の私の気持ちを貴方が知ったとしても、ただそれは荷物になってしまうだけだから。
大佐、私の本当の気持ちは貴方には教えることができません。
いいえ、誰にだって教えることはできません。

本当の気持ちはずっと
ずっと…何が起きたのだとしても、
心の片隅に、秘めて。